本日、先日の関西教育学会でお出会いした姫路大学教育学部の板東克則先生よりご著書である「手紙」「教育の創造」の2冊をいただきました。
以下、板東先生からの引用になります。
私は、担任時代、管理職時代を通して、いつも周囲との「ずれ」を感じてまいりました。自分では当然と考え、実践してきたことが、どこか周り(の常識?)とずれるのです。「何もしない時間」はその典型的な例だと思います。(「何もしない時間」については、何年か前に「教育哲学」で発表させていただきました)当時でも、教育課程上、決して認められる実践ではありませんでした。でも、このままでは、子どもも私も流されてしまうという危惧を覚え、実践に至りました。
このことを、ある雑誌で紹介すると、大きな反響がありました。以来、この話はどこか教員の共感を呼ぶように感じます。多くの方が「分かる。」と賛同されるのです。これは、一体何なのでしょう。発表で紹介したように、教育を志す若者にも響くのです。反響が大きかったからでしょうか、その雑誌社の仲介で、当時、阪大総長をされていた鷲田清一先生と対談させていただきました。鷲田先生は、こうした実践を「教育の眼鏡をはずす」と評され、「当たり前のことが、当たり前に語られると嬉しい。」と話されました。多忙な中で「何もしない」ことは、ある意味、必要なのかもしれません。
こうした「ずれ」をもとに、私自身の実践を振り返り、まとめたものが、この度紹介いたしました『手紙』です。私なりに、教育の不易を語ったように考えています。この「ずれ」が、不易に重なるように感じるからです。
最後の勤務校、山田小学校では、不思議に「ずれ」を感じませんでした。ですから、すごい学校になった。その学校づくりを描いたものが『教育の創造』です。(引用終了)
「一般社団法人キャリア教育たかぎごや」では、子どもたちの主体的な進路選択を大切に考えて、キャリア教育を行っております。
しかしながら、板東先生が示唆するように、「何もしない」時間の重要性もあるのではないかと感じました。
今はVUCA時代と呼ばれ、世の中が激変し、それについていくために大人も子どももとても忙しいですよね。
ですが、そのような潮流だからこそ、敢えて「何もしない」時間を設けることで、自分自身を見つめ直す。それが、ひいては、「自分の軸」を見つける機会にもなるのではないかと考えました。
このことは、たかぎごやで大切にしているキャリア教育の理念と通ずるものがあります。
このような気づきへと導いて下さった板東先生に改めて感謝の気持ちを表したいと思います。
この度は本当にありがとうございました。
「手紙」